懐かしい町並  与謝野町三河内  京都府

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  • Опубликовано: 6 окт 2024
  • 懐かしい町並  与謝野町三河内
    この地は年間快晴日数が20日~30日程度で湿度が高く、江戸期より丹後ちりめんが盛んに織られた地である。
    江戸はじめは宮津藩領、寛文6年(1666)幕府領、同9年宮津藩領、延宝8年(1680)幕府領、天和元年(1681)以降宮津藩領で明治を向えている。
    延宝9年(1681)宮津城主となった安倍氏が農間余業として織物を認可し、享保6年(1721)に京都西陣で技法を学んだ山本屋佐兵衛らが、当地に縮緬織の技法を広めたとされている。そして三河内村は丹後最大の機台数を誇っていた。明和3年(1766)の織機数63機、享和3年(1803)に120機、文化年間(1804~18)102機、嘉永年間(1848~54)149機、文久年間(1861~64)153機。幕末の家数290。明治2年の家数288・人口1,183。
    丹後縮緬の発展に伴い、動力織機でもって昭和初期まで栄えていた。その後一時衰退するも、第2次大戦後に復活して今に続いているのである。
    三河内集落は峰山街道に沿って発達していて、今でも織物問屋や織物工場が連なり、織機の音が町中に響き渡り活気にあふれた丹後縮緬の街である。
    殆どの家は切り妻造りの2階建てで、明治期から昭和初期頃に建てられた家が多いようだ。
    古い町並を歩く  長年の私のホームページです。
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    音楽:中北音楽研究所

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